Greetings from Lover's Lane
ブルース・スプリングスティーンについて、なにもかも。
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サウスサイドジョニー、来日!
またも久々の更新になってしまったが、今回は特別だ。
サウスサイドジョニーとアズベリージュークスの1987年以来の
実に30年振りの再来日公演が 遂に9月に実現するのだ!

日程は
2017年9月17日が大阪、9月19日、20日が東京の3公演。
ブルースとEストリートバンドの来日公演が もはや絶望的になった今、
youtubeやfacebookのファンサイトで無数に切り取られた過去のライヴ映像や
NYCでの秋のソロブロードウェイ公演に猛烈に食指を動かされている矢先だった。

書きたい事は沢山あるのだが、手始めに
以前本サイトでもUPした、日本盤ライナーには入った事がない、サウスサイドジョニーの
1976年の1stアルバムに寄稿されたブルーススプリングスティーンのエッセイを
以下に再掲載しておくことにする。

そこには多くのミュージシャンが居た。ジャージーの北やニューヨークからきて、トップ40に入っている曲を海岸沿いのクラブで演奏していたバンドは、ふつう毎日の仕事を終えると地元の友人達と連れだって、そこへ集まってきていた。ふつうのクラブよりも遅く迄やっていたし、一時から朝の五時まで好きな曲を演奏する事ができたから、みんなそこへいっていた。そして腕がよければ、いっしょにやりたい男を指名して演奏することもできた。

 アップステージは、トム・ポッターというビートニク・タイプの男が経営していた。彼は壁に黒いライトをとりつけ、ピンナップをべたべた貼り、バンドの若者たちに五十年代の機関車の模型を見せたりしていた...とにかくグレイトな場所だった。ポッターは、五ドル札や十ドル札を そっと握らせてくれることもあった。カネに詰まって実家へ帰らなくてもすむようにだ。クラブを出るころには明け方になっていたから、そのあとは一日中浜辺でごろ寝していることもできたし、明るくなり過ぎないうちに寝ぐらへ帰り、部屋の窓に毛布を釘付けにして夜まで眠ることもできた。

 いろいろな連中が居た...マッドドッグ・ロペス、ビッグ・ダニー、ファストエディ・ララチ、その弟のリトル・ジョン、マーガレット・アンド・ザ・ディストラクションズ(専属バンド)、ブラック・タイニー、ホワイト・タイニー、マイアミ・スティーヴ、選りすぐったEストリートバンドの連中、そしてスティックの叩き方から言ってもその音が与える衝撃から言っても最高にヘヴィーなドラマーであり、とてつもなく強い心臓の持ち主である"ビーイングバッド(性悪)"ボビー・ウィリアムス、彼はめちゃくちゃにタフで、一旦ドラムを叩き出したら一晩中徹底的に叩きまくった。殆どの連中は、このレコード以外で名前を見かけることはないだろうが、にもかかわらず、少なくとも一度は尊敬の念をもって語られるべき連中なのだ。彼らが優れたミュージシャンだからではなく(実をいえば、このうちの何人かは全く楽器が出来ない)、俺にとってはロックンロールそのものであるように想える生命力にあふれた精神で、それぞれに生きていたからだ。ロックンロールは生きていくための音楽だったし、彼らは毎晩魂の中でロックンロールを生きていた.この連中こそヒーローであり、決して忘れ得ぬ人たちだ。

ブルース・スプリングスティーン、
Southside Johnny"I Don't Wanna Go Home"ライナーノーツより(1976年)

 "明日なき暴走"ディヴマーシュ著(翻訳:小林宏明)より
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